雪華堂の思い出(和菓子店) | 40代無職が働かないで生活するブログ

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2023年の過ごし方

雪華堂の思い出(和菓子店)

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無職

東京の練馬区に明治時代から営業を続けてきた【雪華堂】という和菓子店があったのだが、2023年5月に廃業することになった。

自分はこの事をネットニュースを見て知り、そこで初めて興味を持ちこの店に行って最中やお菓子などを購入して食べてみたのだが、これが本当に美味しく、忘れられないような味だった。何が美味しいのかというと、ここは餡子が特徴のお店だと思うのだが、とにかく丁寧にまた時間をかけ、物凄い美味しく、他では絶対に真似ができないようなアンコを作るからだ。1度食べたら舌が覚えて忘れられなくなる。まさしくそんな味だった。

そんな店なので、閉店日に江古田店に行った。閉店当日だったので、甘納豆は無し。150円の最中も無し。販売している商品は限られていたが、その中で美味しいそうなものを約3千円分購入した。

自分が和菓子をこんなに大量に購入したことはお使い物以外ではない。それほど美味しい和菓子だと思う。

それとこの雪華堂だが、同業者である銀座鈴屋に買い取られ、6月9日から3店舗で営業を再開するとの話だ。雪華堂が扱っていた商品も何点か同じものが販売されるということらしい。

興味ある方は是非1度試してみてほしいと思う。個人的なおすすめは最中に入っている餡を使っている商品だ。1個150円で売られていた小さい最中が本当においしく感じたが、新しい店でそれと同じ商品があるかは分からないが、アンコの味をダイレクトに、尚且つ美味しいと感じる佐藤の甘さを堪能できるのはここの最中が1番だと思うので、近くに来た際は試してみて欲しいと思う。

以下に消されてしまうと思うので、ヤフーのニュース全文を掲載しておく。

雪華堂のヤフーのニュース

明治創業の和菓子店「雪華堂」の佐藤愛一郎代表取締役(83)が廃業することを決め、ツギノジダイ編集部のインタビューに答えました。和菓子の売り上げが伸び悩むなどいくつかの要因が重なり「周りに迷惑をかけたくない」と事業をたたむことにしたといいます。そんななか、先代から付き合いのある「銀座鈴屋」から声をかけられ、3店舗の運営を任せることになりました。3店舗には「雪華堂」の名前が残ります。

雪華堂とは

雪華堂の甘納豆

 雪華堂は、明治12年(1879年)、当時の銘菓だった金平糖を食した徳川公が「まるで雪の華のようだ」と形容し「雪華堂栄屋」との屋号を与えたことがルーツだといいます。  先代の故・佐藤龍馬氏の自伝「雪林を歩む」によると、第二次世界大戦から復員した龍馬氏は、戦火を逃れて家族が避難していた先の練馬区の江古田で店を再開しました。  砂糖の配給が始まったので羊羹を作ってみると「芋の味に慣らされた戦後の口に久方ぶりに練り上げた羊羹を口にした時、これが正真正銘の羊羹だと感激した」とつづっています。戦争により、皆が嗜好品が遠ざかっていたため、菓子がよく売れたと回想しています。  後に付加価値の高い甘納豆を手掛けるようになり、発祥である赤坂の地に再び出店できるまでに事業を伸ばしました。今の代表取締役の佐藤愛一郎さんは「のれん分けも含めると、雪華堂を名のつく店は多い時で40店舗ほどあった」と振り返ります。  しかし、雪華堂は、廃業に向けて2023年5月30日までに全店を閉めることになりました。佐藤さんは「私の体力だけでなく、限界だなと思うことがいくつもあった」と明かし、事業を続けて周りに迷惑がかかってしまう前に廃業を決断したと言います。

「売り上げを伸ばすのが難しくなってきた」

雪華堂赤坂店(現在は閉店)

 18歳から雪華堂で働き始めた佐藤さん。家族の助けも借りながら経営を続けてきましたが「売り上げを伸ばすのが難しくなってきた」と感じるようになりました。  昭和時代、赤坂店を持つ雪華堂は近くの料亭から注文がたくさん入り、夕方になると、お土産用の箱が店に積みあがっていたといいます。そのころから比べると、店の売り上げは1/3に落ち込みました。  佐藤さんは「和菓子の需要が落ちたというよりも、コンビニなどでスイーツが手軽に手に入るようになるなど、食べ物のなかでの競合が多様になってきた」と話します。  雪華堂でも、時代に合わせて、フルーツ雪大福や焼いた林檎を乗せたパイ生地のお菓子、かりんと万頭など時代に合わせた和洋折衷のお菓子を試行錯誤してきました。ただし、その分、職人の教育により時間がかかるようになったといいます。

 佐藤さんには事業を任せようとしていた息子がいました。しかし、息子は独立して別の店を経営しており「今さら戻ってこいというのは難しいだろう」と考えたといいます。そのほかにも、住宅街で菓子製造工場の運営を続けることの難しさなど様々な要因がありました。  こうしたなか、赤坂店の土地に買い手が見つかったことで「事業を精算するには、従業員に退職金をきちんと払い、借入金も返す必要がある。周りに迷惑がかからないうちに店を閉めよう」と決断しました。

「廃業した方が楽」でも銀座鈴屋にブランド引き継ぐ

三味どら焼(大納言・うぐいす・手亡の3種の粒あん)

 店舗は順次閉店していますが、東京都練馬区や豊島区にある平和台・千川・江古田駅前の3店舗は、創業1951年の甘納豆専門店「‎銀座鈴屋」に譲渡し、6月9日から再開する予定です。  譲渡作業は膨大で、佐藤さんは「何もせずにそのまま廃業した方が楽だったかもしれない」と思うこともありますが「和菓子事業を広げたい」という銀座鈴屋の熱意に応えて全面協力を約束したのだといいます。  銀座鈴屋の先代との付き合いはあったものの、いまの小木曽太郎社長との付き合いはほとんどありませんでした。それでも、話し合いを進めるなかで「競争がさらに激しくなるなかでも、この人なら事業を伸ばせる」と感じ、事業を任せる決断をしました。  雪華堂が作って来た和菓子の多くは職人や設備機械も含めて銀座鈴屋が引き継ぎます。ただし、甘納豆は銀座鈴屋の商品を取り扱うことになります。  3店舗の今後の運営について、銀座鈴屋に問い合わせたところ「雪華堂のブランドを引き継ぎ、地域の方から今まで通りのお店だと感じてもらえるよう運営していきたい」との回答が寄せられました。

2023年 5/24(水) 7:50 配信のヤフーニュースから引用

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