このブログの読者様は博打(パチンコ、パチスロ、競輪、競艇)などの博打が好きな方が多いかと思うので話半分で聞いてほしいが、今日は珍しく表題のことが頭に浮かんだので、個人的な意見を書いてみたい。
パチンコ・パチスロを打ったとしても、将来的に輝かしい未来が開けるわけではないと思う
エスパー吉川さんという、自分の車内で寝泊まりしながら、全国のホールを打ち歩き、それで食べているいわゆるパチプロと呼ばれている人がいる。
日々パチンコ店の情報をチェックし、状況が良い店に来るまで出向き、基本的に開店から閉店まで打ち、その後は銭湯などに行った後、車中泊をして過ごし、そのまま翌日もパチンコというパターンが多いらしい。
そしてそんな彼が裕福なのかというと、未だ車中泊を続けていることからも推測できるように、馬鹿みたいに儲かるのかというと、決してそういうわけではないと思われる。理由はXのプロフィール欄に、時給700円と書かれるようになったから。おそらく今の時給は700円程度しか稼げないからそう書いたんだと思うが、この点に関しては、山ちゃんボンバーという現役パチプロも、時給がどんどん下がっているという事と、パチプロがどんどん廃業していっている。パチプロとして生活できるぐらい(月20万円とか)はもう稼げない時代になった。まったく稼げないという時代ではないが、ある程度まとまったお金を稼げなくなったので、どんどんやめている人が出てきている。
なんて事をyoutubeで言っていたので、これについては間違いないと思う。
要は、今の時代、パチンコを打っていても、時間給で考えたら昔ほど稼げなくなったのが現実。
昔はそれこそ月に40万円以上稼いでいるなんて人が結構いた為、楽して稼ぎたいという気持ちの人や、働きたくないという人はこのパチプロという職業にはまったが、今はもうそれだけでは生活できないレベルに来ているのが現実という話らしい。
パチンコが勝てる仕組み
結局のところパチンコは店が出す調整にしてくれれば出る(客が勝つ)。なので理論上、強いイベントなどを転々としていれば、期待値がプラスになるイベントを転々としていれば、おのずと勝つことができるという話になる。上で書いた車上生活のパチプロも、今までそれで生活できていたことからを考えると、そういう生活をしていれば、何とか男一人食べていけるだけの生活は送ることができるのであろうと思う。因みに彼もグランドオープンの情報は常にチェックしており、店が出す(グランドオープンは出すことが多い)可能性が高いと判断すれば、車でその場所まで行くなんてことを書いていた。
要するに安売りのバーゲン会場に並ぶ転売の人と同じような感じで、今日は出すなんて情報があれば、車で行って朝から抽選を受けて台を確保し、期待値があると判断すればそれを打ち切るという事(仕事)をし続けてきたのだと思う。
だからホールが儲かっていて、ガンガン還元してくれるという話なら、こういうスタイルでももしかしたら大きな金額を勝つことができ、それをきちんと貯蓄や運用などに回していけば下手したらサラリーマンなんかよりも生涯年収が多かった、何てこともあり得たのかもしれないが、ここまで不況になるともうそうもいっていられないのであろう。因みにパチンコの時給は昔は2千円以上でないとやる意味がない(時給2千円を下回るようなら、普通に働いていた方が良いらしい)なんてことを言われていたが、今は時給700円となると、本当に落ちたもの、儲けにくくなったものだと感じる。
目先だけ追い求めても何もたまらない
またそれと同時に、パチンコ店に入るような人は、ほとんどの人が、財布の中身が増えればいい程度で入ることが多い。要するに手元の数千円を打ち込んで、数万円になれば大満足という話だ。
結局のところそれ以上もそれ以下も求めておらず、ただただ数万円になれば御の字。その勝ち金でちょっと高級なお酒を飲んだり、普段買えないような豪華なお惣菜を買ったりという、お金を持っている人から見たら、なんて小さい幸福を求めているのかのように見えるのかもしれないが、そのような方々の器、そのような人達のレベルから見たら、数万円というのは非常に大きなお金であり、それが手に入るかもしれないという一つの夢、一つの望みを期待しながら、一打一打真剣に打ち込んだり、落ちている玉、メダルを拾っては、ちょっと儲かったとなり、にやりとしながら打ったりしているのだが、最終的には目標が低すぎるからか、もしくは楽して稼ぎたいという考えがいけないのかは不明だが、最後は飲まれて終わってしまい、店を出るときはストレスいっぱいで帰る。そしてその嫌な思いを経験したにも関わらず、翌朝は1番乗りで嬉々としながら並んでいたりするのを見かけるのだが、自分はこんな光景を長年見続けてきて、パチンコ店に並んでいる人は、どこかで道を間違えたのではないか?
なんて事を思わざるをえないようになった。
長期的視線が皆無の人達
パチンコ店に期待して並んでいる人は目先の利益しか求めていないと書いたが、これはその他のギャンブルにも当てはまることだと思う。
WINS後楽園という場外馬券場行くと、場内にモニターがあるのだが、馬券を買った人達が、レースが始まる前になるとおもむろにモニターの前に集まり、真剣なまなざしでレースを見る。
1コーナーを回り、2コーナー、3コーナーとなるとこの辺りで声を出す人がいる。
【そのままそのまま】とか、【がんばれー】とかが多い。
見ていて自分の馬券が当たりそうな人達だけが、本当に心底当たってほしいという気持ちで応援を始めるのだ。一方自分の馬が最後方を走っている人、絶対に負けるとわかっている人は茫然と立ち尽くし、声もでないような状態で見ていることが多いように見える。
そしてゴールとなり結果が出ると、当たった嬉しさが隠し切れず、【やったーやったー】なんて60過ぎのおっさんがはしゃいでいる姿をたまに見かけることがあるが、握っている当たり馬券はせいぜい1点300円程度。しかもワイドで3倍とかで、300円×3で900円になった程度で、まともな人間、普通の金銭感覚の人は絶対に喜べないような成果しかだしていないように見えるが、それは各人によって大きく異なる。
またここで喜んでいるような人のほとんどは、運とか、ツキというものを心底信じているタイプが多く、当たったら次にぜんつっぱ。俗にいう転がしというやり方だが、それを10回続ければ、例えば300円の元手で、10回連続で3倍が当たったとしたら(ぜんつっぱで)300円×3=900円、この900円を再度突っ込み3倍にあたり、それを10回繰り返すと、なんと驚くことに計算上は、17714700円となる。実に10回転がすだけで300円が一千七百万円になるのだが、こんな事絶対に起こるわけがないし、今までそれを経験したことが無いにも関わらず、これが実現すると心底信じ、【今日はついているから次も当たる】と何の根拠もないのに、絶対の自信で全つっぱして、途中で果ててしまう人がほとんど。またそういう人に限って何とか金を作り、翌週も、また翌週もと、頻繁に通い続ける人が多いように見えるが、こんな事をいくら継続してやったとしても、結果的には何も残らないのではないかと珍しく思った。
博打が好きな人の唯一の楽しみ
自分が考える博打うちの最大の喜びは、【当たるかどうか】または【パチンコ等だと出るかどうか】ただそれだけ。
例えばサイコロの博打で偶数か奇数かのどちらかに賭ける。例えば偶数に賭けたとして、サイコロを振って偶数が出たらニヤリ。逆に奇数が出て外れたら、渋い顔をする。
そんな事を永遠に繰り返しているだけの人達でしかないような気がする。
特にその中でも最底辺なのがパチンコ・パチスロ。もっと詳しく言えばフィーバー機とジャグラーが最下層に見える。何故かというとそこでほとんど頭を使わないからだ。上のサイコロ博打とほぼ変わらないことをやり続けているようなものだ。
逆にこの中で最高峰なのが競輪と言われている。
競輪場に行くと分かるのだが、競輪場の隅の方で強風に吹かれようが微動だにせず石のように座り続け(全神経を集中して考えている為、何も気にならない)、おもむろに車券を買いに行く人がいるが、競輪は展開を考えると何通りでは収まらないことも多く、このような感じで1レースに莫大な時間を使う人も多い。
それゆえギャンブル界のエリートなんて呼ぶ人もいる。
一応そんな情報を頼りにギャンブルのレベルを上から順番に並べると、
競輪→競馬→オート→競艇→パチンコ→ジャグラー
なんて感じになるんだと思う。
左に行くほど頭を使う要素が多く、逆に右に行くほどサルでもできる。誰でもできる遊びということになる。
そしてこんなあほみたいなことを嬉々として朝から晩までやっているのが博打うち。
当たるかどうかも分からない、増えるかどうかなんて保証もないにも関わらず、自分の直感、予感などに大金を賭け、当たると思ったが当たらずに終了。最後はやけ酒でふて寝。
こんな事を永遠と懲りずに繰り返しているのが博打うちという集団なのかもしれない。珍しくこんなことがリアルに頭に浮かびました。
最後に
人間として生まれたのなら、もっと頭を使わないといけないのでは?なんてことが浮かんだので、自分の脳内をまとめて書いてみました。
因みにこんな事を書きながらも、連日のようにジャグラーを打っているので、自分はどちらかというと分かっていながらもやめられないタイプで、ここで書いた人を批判する権利も、批判するつもりも一切ありません。
ただこんな方々を頻繁に目の当たりにしたため、このような脳内になりました。
またガチで客観的に博打そのものを思い起こしてみると、普通に考えたらやらないほうが良い事。
時間を使っても得られることがほとんど無いというのが明確なので、どうせお金を使うのなら、それ以外の事に使った方が、よっぽど豊かな人生を送れるのではないか?なんてことも頭に浮かんでいます。
最後までご覧いただきありがとうございました。










