吉祥寺の駅前にメッセというパチンコ店があるのだが、その店内にはジャグラー専門の老夫婦がいる。自分はこの店はあまり行かない。行っても1カ月に1度ぐらいなのだが、行く度にこの夫婦を見るので、おそらく相当な頻度で来ているんだと思う。
因みに年齢はどちらも70代以上。おそらく80代ではないかと思うぐらいに高齢だ。また奥さんの方が車椅子かつ持参した座布団を使って打っている(高齢になるとお尻の肉が取れてしまい、椅子が固いと感じ、座布団がないと座れなくなる)。
多分夫婦共々、医者通いだし、普通に健康的な生活をすることすらままならない状態にあるように見えるのにも関わらず、何故薄暗い店内で、目押しをする際にも何回もやらないと揃えられないぐらい苦労しているにも関わらずジャグラーを打ってしまうのか?その理由はおそらくだけど、お金を稼ぎたいから!ただそれだけではないかと思う。
吉祥寺メッセにいる老夫婦を見て思うこと
ただ自分はこの光景を見て、2つの疑問を感じた。
まず1つ目だが、何故打つのか?という事だ。
80代と思われるような方が、金を目的に打ってもしょうがない。何故かというと、食も細っているだろうし、物欲もさほどないだろう。この年になってしまったら、お金を使いたくても使えないだろう。そしてそんな人が稼ぐ意味があるのだろうか?
パチンコパチスロに時間を使うのなら、それ以外の例えば温泉に行くとか、散歩するとか、美味しいものでも食べに行くとか、時代劇でも見に行くとか、知らない街に行ってみるとか、、。
それ以外の方が健康的であり、満足度も高いと思うからだ。
何故他の選択肢を選ばないのか?その点について非常に疑問を感じる。
それともう1つ疑問なのは、ジャグラーは疲れる。
何故こんな疲れるような事を選択するのかということだ。
自分の疑問に対する推論
で上記の自分の疑問に対する答え(推論)だが、これはおそらくだけど目先の金の事しか見えていないからではないかと思う。
いくらいくら負けたから取り返したい!とか、今日はイベント日だから設定が入っているから少し稼いでいこう!とか、おそらくだけど短期的な欲望、短期的な理由で打っていたら、それが習慣化してしまい、結局毎日のように通うようになってしまったのは良いが、それにより日々財布は軽くなってしまっているんだろうと思う。
そしてこの光景を見ていると、パチンコパチスロを打っている人は、自ら少しづつ貧乏になる日々を目指しているようにも見える。
本人達は金を儲けようとして行っている。稼げるという夢を抱いて打っているが、現実はただただ貧乏になっているだけではないかと思う。
欲をかかない方が良い気がする
パチンコパチスロをやるような人は、【稼ぎたい】という欲がある。
時間があるからこそ、実際は他の事、一般的なビジネスのような事を選択すれば良いのだが、人は皆自分に甘く、自分に都合の良いように考える傾向にあるので、その甘さから、何の根拠もないのにも関わらず打ちにいってしまうのかもしれないが、冷静になって考えてみれば、客が勝てるわけがないのである。
それはカジノと同じ理屈。
しかもパチンコは回らないようにすれば客が負ける。スロットも低設定だけにすれば客が負ける。そしてどの店もトータルで店が勝てる設定配分にしているわけで、普通に考えてみたら、こんな種も仕掛けもある環境下で、勝てるわけがないのだ。
でも自分の我欲がそれを無視してしまい、ある意味盲目的な行動をとってしまうことで、客観的に眺めてみると、ただただ貧乏になっているだけという現実があるのだろう。
自分も最近まではこのことが全く分からず、ドン・キホーテのようにパチンコ店に特攻していたが、最近になってようやくこのことに気が付けるようにはなった気がする。
要するに選択肢が悪いのだ。金を稼ぎたいのであれば、パチンコパチスロという選択肢はタブー。
そんな事を選択するのではなく、もっと確実に儲かりそうな事、仕事(人がやりたくないと思うこと、手間がかかるような事を生業とする)をするなど、もうちょっと難易度が低くて稼げそうな事を探していけば良いのではないかと思うし、もしそれが見つかったのなら、それをすることで、コツコツと堅実的に儲けていったほうが、満足度も高い生き方になるのではないかと感じた。
まあ普通の人、まともな人はこんな事はとうの昔に理解していて、パチンコパチスロ何かに可能性を見出さないのだろうけど、師走という時期にも関わらず、パチンコ店は今は割と繁盛している。平日の昼間から一体こいつらは何故ここに(パチンコ店)来たがるのか?、実は大森駅前の金時という店に、5が付く日に開店前に並んでいる人を見たのだが、その人達を見て分かったことがある。
無精ひげを生やした人や、髪がぼさぼさの人、清潔感が全くない身なりの人、そんな人しか並んでいないのを目の当たりにして、【並んでいる人はみんな無職だな!こんな風貌では会社側から拒否されてしまうだろう】とそんな事を感じた。
普通の会社員が余暇で打つのなら良いが、無職の場合は稼いでいかないといけない身分であり、パチンコ店に並んでいる場合ではないのにも関わらず、何故並んでいるのかというと、これも短絡的な思考、短期的な思考で、目の前のパチンコの事しか考えられないのだと思うが、個人的にこのような方々を見て思うのは、この先困るぞ!ということだ。
毎日毎日パチンコを打っていても何も身につくことはない。
そしてそんな無駄な時間を過ごす=成長できていないことがどれだけリスクになることか?それが全く分かっていないのであろう。
パチンカスはどう生きるべきか?
ただ恥ずかしい話だが、自分もほぼ毎日のようにパチンコ店に通っている。ジャグラーを打ってま負け地団太を踏んでいるのだが、翌日にはそのことを忘れて並んでしまっている。
(もっと他にやるべきことがあるだろうとか、実際に打っても何も身につかない。なんの成長もしない。なのでこんな事をしていても良いのかと疑問を感じたことは星の数ほどあるが、世の中の仕事(例えばパチンコ店の店員)で何も身につかないこともあるわけで、それと同じだと自分に言い聞かせ、その疑問を解消してきた。)
で何故並ぶのかというと、やはり儲かると思うから、儲かる=楽しいとなるので、楽しい思いをしたいから打つのだが、ここ最近になり、パチンコパチスロを打つことも、もう限界では無いかと感じるようになった。
何が限界なのかというと、まったく勝てないような状態になっているので、財布の方が限界という意味だ。
昨日は綾瀬まで遠征してジャグラーを打ったのだが、4万負け。しかも13時30分には飛び出すように店を出た。たった3.5時間で4万失う。しかもジャグラーというマイルドと言われている機種でもこの程度は日常茶飯事のように負ける。
しかも自分は勝ちたいと思って挑んでいるのにもかかわらず、これでは本末転倒。
そしてこんな事を繰り返してきて感じたのは、【ジャグラーで勝とうとしないで、他の事で稼いでいけば良いのではないか?】という思考。
今までも何度となくこのことが浮かんだが、それを考え抜くことができず、【何も浮かばない】という理由でそれをやらないできたが、何年も漠然とだが負けるたびにこのような思考回路で過ごしたからか、今は【別にできなくはない!考えれば何か浮かぶだろう】という思考回路にはなった。
また自分は実際にネットでは少し稼ぎがあるのだが、そういう意味でも何かで稼いでやろうと考え、そのアイデアを行動に移すことができれば、それなりの結果はついてくるのだろうと思う。
実際に街を歩いてみれば、飲食店、物販店、自動販売機など、お金を稼いでいるものを目の当たりにすることができる。それらはパチンコパチスロと比べたら難易度は高い。手間もかかるが、できないことではない。
要はまともな人、まっとうな人はそういう堅実な商売を選択し、それで生活をしているのであるが、そのほうがよっぽど安定的な暮らし、安全な暮らし、平和な暮らしなのではないかと、はたから見ると想像できる。
なので自分も含めパチンコ店にどっぷりと浸っている人に言いたい。
もしお金を稼ぎたいのなら、運否天賦ではなく、何か自分で考えてみたら良いのではという事を。
そしてそれが上手くいくかいかないか?そんな事を続け、七転び八起きの考えでやり遂げた人が、最後にビジネスという世界で開花するのではないかと思うし、そこで開花した人は、パチンコパチスロなんてものはバカバカしいと感じてやらなくなり、それ以外の世界を見に行ったり、それ以外の世界で充実した人生を過ごすのではないかと思う。
そしてそのどちらを選ぶかはそれぞれの人次第。別に誰にどうこう言われることではなく、自分で選べば良いのだが、パチンカスたるもの井の中の蛙のような考えの人が多いのではないか(自分も含めて)と感じたので、とりあえず自分の考えを書いてみた。
※偉そうな事を書いているように感じる方もいるかもしれませんが、決してそんな事はありませんので、誤解が無いようにお願いします。