こんにちは、金丸です
私は毎日自由時間みたいな生活をしています。
今日は漫画喫茶→昼飯→パチスロ(ちょい負け)
昨日は、漫画喫茶→昼飯→漫画喫茶
一昨日は、漫画喫茶→昼飯→温泉で過ごしました。
自分に対する労働の義務や、拘束時間は無いのですが、周りを見渡すと、働いている人ばかり。
漫画喫茶に行けば、受付やってたり、席の掃除をしていたり。昼飯を食べに行けば、食事を運んだり、レジを打ったり。温泉に行けば、床の掃除、館内着を渡してくれたり、決まった場所で、人が通る度に、ごゆっくりどうぞ!と言い続けている人もいます。
そんな人達を見ると、自分は何故か以下の事を考えてしまいます。おそらくですが、昼間から仕事もしないでぶらぶらしてる人は同じような事を考えているかもしれません。そんな方は是非読んで見て下さい。
後ろめたさを感じる
全く働かないでいると、働いている人を見ると、働いていない事に対する、後ろめたさを感じます。
自分でも驚いたのは、パチンコ店でさえも、店員を見ると感じてしまうんです。
「仕事しないで良いのかなー?」
不思議です。
よく働くなーと、見るたび感心する
昼間に街を歩くと、働いている人ばかり見かけます。ビラ配りの人から、飲食店の人、コンビニの店員迄含め、皆さま、本当に良く働くなーと感心の眼差しで見ています。
また、おそらくだけど、どんな人でも最低6時間程度は働いているでしょう。
今の自分はその労働時間の長さにさえも、尊敬の念を持ちます。とてもじゃないが真似出来ない。
自分も以前はブラックな会社に勤務していたので、仕事は分かります。どんな仕事もそうだけど、結局仕事中と言うのは目の前の仕事の事しか考えられません。毎日毎日、6時間以上、仕事の事しか考えていなかったら、やはりその内仕事馬鹿になってしまうでしょう。
自由だからかもしれませんが、客観的に働いている人達を見ると、拘束時間が長く、比較的単純な事が多く、可哀想に見えます。
飽きないのか?と思う
街を歩くと、毎日決まった場所で決まった仕事をしている人を見かけます。
例えば、バスの誘導員だと、大型バスが駅に到着する度、「バスが通りまーす。道を開けて下さい」と言った後、誘導灯を振り回します。これを大体5分ループでやっています
いやー本当に毎日良く頑張るなーと見ています。
自分だったら、この仕事が月収100万でもやりません。
すぐ飽きてしまうからです。
疎外感を感じる
街を歩いて見ると、大多数の人が、当たり前のように働いています。
電車に乗れば、スーツを着ている人ばかり。そんな中、平日昼間に私服で電車に乗ったりすると、仲間はずれ感というか、これで良いのか?なんて考えさせられます。
働く人を見ると考えてしまう事のまとめ
昔自分が働いていた時は、街を歩き、働いている人を目の当たりにしても、何とも思いませんでした。視界に入っても、何の印象も持ちませんでした。
おそらく自分が働いている時は、働いている人を見ても、何とも思わないのでしょう。
逆に、毎日何もしない状態で街を歩き、働いている人を見かけると、どうしても気になってしまいます。そして、誰を見ても、良くやるなーと、感心するばかりです。
この心境の変化は、なってみないと分からないかもしれません。凄く不思議です。
心の中は、皆働いているけど、自分は何もしていない。その違和感のような物、隙間みたいなものを埋めようとしているんでしょう。
でも自分はリアルで働いている人を見れば見る程思います。真似出来ないなーと。
駅前で看板を持ちながら、「本日パチンコCRガロを●台導入致しました。是非打ちに来てください」なんて言ってる人を見ると、労働に対するモチベーションとか、本当に凄いと思う。
とてもじゃないけど、真似出来ません