こんにちは、無職の金丸です。
大阪に西成区という、日雇い労働者が多数いる街があります。乞食同然の人も多数いる街で、貯金がある人など皆無。
毎日生きていくだけで精一杯の人で溢れ返っている街です。
街中はこんな感じ。ダンボールハウスでいっぱいです。
宿もなく、路上で寝ている人。明日の飯代も無い人。そんな人達がいっぱいの街でも繁盛している店があります。
それが、居酒屋、パチンコ店、マージャン屋です。
どれも強度の依存症になる可能性のあるものです。
酒を飲んで日常を忘れる。博打をして、一時を忘れる。
金が無いのに、酒を飲んでしまったらどうするんだろう?
金が無いのに、博打をやって無くなってしまったらどうするんだろう?
自分が同じ立場だったらさすがにやらないと思いますが、この事について、依存症となってしまうとそれをやり続けてしまうというコラムを読みました。
下記に転載しますが、非常に面白く、そして読んだ後、マジに依存症のある事は止めた方が良いのではないかと思えます。
酒、博打など、何かに依存していると思える方は是非読んでみてください。
売人になるか?中毒者になるか?資本主義とはそういうことだ
西成・あいりん地区という「どん底」
職業安定所と言えば、普通は「仕事を見つける場所」なのだが、大阪の貧困地区である西成区萩之茶屋の「あいりん労働公共職業安定所」は、仕事にあぶれた人がビニールシートを敷いて寝る場所になっている。
この職業安定所は二階に上がると、本当に何もないただっぴろい空間で、そこにも大勢のホームレスが寝ている。
日本広しと言えども、ホームレスが何十人も寝ている職業安定所というのは、この「あいりん労働公共職業安定所」くらいなものだろう。
大阪でホームレスやホームレス寸前の労働者たちが集まり、生活保護費を人権屋や悪徳NGOやヤクザや簡易宿泊所の経営者に搾取されながら暮らしている高齢労働者が数十万人もいる世界は、言ってみれば「資本主義のどん底」である。
資本主義からこぼれ落ち、定職もなければ住所もなくなった男たちが、為す術もなくここにこぼれ落ちて絶望のまま暮らしている。
しかし、このドヤ街もまた「資本主義」で成り立っているというのは変わらない。ドヤ街にも多くの店があり、たくさんの人が文字通り「なけなしの金」をはたいている。
では、金のない労働者が集まる場所で、繁盛している店は何だったのか。
「なけなしの金」というのは、「あるのかないのか分からないほど小さな金」という意味だ。金のない人間にとって、小さな金というのは命綱である。その金がなくなってしまえば、もう何もない。
だから常識的に考えれば、今の何も持たない自分にとって最も重要なものにそれを使うのが当然であると私たちは考える。しかし、あいりん地区に沈没している人々を見ていると、どうもそうなっていないことに気付く。
それは、この資本主義に落ちぶれた人間たちの集まる場所で、最も繁盛している店を見れば分かる。
それは、「居酒屋」なのである。
この街には、カウンターだけの10人も人が入れば満杯になる小さな個人商店の居酒屋が、商店街にも街にも至るところに林立している。
そして、仕事にあぶれた労働者が「なけなしの金」をはたいて朝から酒を飲み、憂さ晴らしに昔の古めかしい歌を歌っている姿が見える。
何も持たない人間が、持っている小さな命綱の金をはたいても欲するもの、それはアルコールだったのである。
あいりん地区にはいくつかアーケード付きの商店街もあるのだが、そこにも居酒屋が建ち並んでいて、夕方にもなると、それぞれがいっせいに満員になる。
最近は中国人経営者が中国人女性を使って労働者にアルコールを提供しており、中国人が日本人の労働者から「なけなしの金」を吸い上げている構図にもなっている。
資本主義から転がり落ち、住む場所も食べる物も事欠く生活になっても、アルコールに金を費やすことだけはやめられないというのが、このあいりん地区の住民たちを見て分かる。
そして、居酒屋以外にも目立つ店がある。それは何だったのか。
アルコールとギャンブルの共通点とは何か?
居酒屋と共に目立つ店。それは、パチンコ店である。
あるいは、あいりん地区では、他の地区でとっくに下火になった卓上型のゲームセンターも現役で残っているし、他にも麻雀屋(雀荘)も普通に見かける。
麻雀屋は繁盛しているようで、ひっきりなしに労働者が出入りし、店の外には従業員募集の張り紙までしていた。
アルコールと共に労働者の「なけなしの金」を吸い上げているのは、ギャンブルの店だった。
つまり、資本主義の世界で落ちこぼれて日本最大のドヤ街にまで転落した人たちは、その転落した世界でもアルコールとギャンブルに金を投じていたのである。
アルコールとギャンブルの共通点とは何か。
それは、両方とも「絶望を一時的に忘れさせてくれる存在」であるということである。
彼らはもはや弱肉強食の資本主義で生き残ることに失敗し、自分がもう浮かばれないことを悟っている。資本主義は彼らにとって自分を虐げるための体制でしかない。
その資本主義が続くというのは、まさに「絶望」が延々と続く地獄の世界なのである。
だから、彼らは深い絶望から逃れるために、アルコールとギャンブルで絶望を一時的に忘れようとする。つらい世の中で、この2つは最後の最後まで彼らの慰みとなる。
この慰みは依存を生み出して、さらなる転落の元凶になるのだが、仮にそうだとしても今さら小金を貯めて更正するような気力も既に失っている。
「金を貯める」というのは資本主義の発想である。彼らはそこから蹴り出され、落ちこぼれたので「あいりん地区」という転落の場にいる。
そのため、彼らには「すべてを失ったから貯金をする」という発想にはならない。それができていれば、そもそも最初からあいりん地区にいるはずがない。
「資本主義に馴染めなかった彼らの逆をする」とは?
では、転がり落ちた人間や何も持たない人間が、そこから這い上がるにはどうすればいいのか。
それは、資本主義の中ですべてを失って、日本最大のドヤ街である「あいりん地区」に転がり落ちた人々を観察すれば、そこから自ずと正解が引き出せることになる。
資本主義に馴染めなかった彼らの逆をすることが、資本主義の生き残りになるということだ。
彼らの最大の欠点は、「なけなしの金」をアルコールとギャンブルに費やしてしまうということである。
ついでに言うと、あいりん地区にはタバコ屋もまた繁盛しているのだが、そのどれもが、見返りがないどころか依存症になって死ぬまで金を吸い上げられる悪癖であるということだ。
彼らはすでに資本主義社会でドロップアウトした状況になっている。しかし、資本主義そのものは彼らを狙いすまして、なけなしの金すらも奪っているのである。資本主義はどこまでも彼らを追いかけているのだ。
だとすれば、資本主義の中で這い上がるには、まずはアルコールとギャンブルから身を引くのが良いという結論になる。絶望を忘れるためにこれらに溺れるものではなく、ましてそこに希望を見出すべきではない。
ギャンブルをすることによって資本主義を生き残れるのであれば、朝から晩までギャンブルに身を費やしているあいりん地区の労働者はみんな資本主義の成功者となっている。
彼らがそうなっていないというのであれば、それは資本主義の中で生きる上で良いソリューション(解決方法)ではないということなのである。
こうした依存症を生み出すものから逃れて「小さな金を貯めていく」のが王道である。そして、それができればもうひとつ上がある。
「依存症ビジネスへの投資」こそ、資本主義最強のサバイバル術だ
他人を依存症にさせるビジネスは儲かっている。人生を破綻させても依存者はそれに金を使うからだ。アルコール、タバコ、ギャンブルに溺れた者はホームレスになっても溺れ続けて逃れられない。
それならば、「依存症ビジネスに投資する」というのは、資本主義の中で行える究極のサバイバルにもなり得るということでもある。
依存症ビジネスは、消費者が廃人になってもそれに貢がせる威力と脅威がある。嘘だと思うのであれば、あいりん地区に沈没している人々を観察してみればいい。
徹底的に収奪する弱肉強食の資本主義の頂点にアルコール、タバコ、ギャンブル等の依存ビジネスがある。
私はタバコ企業に投資しているが、これらの資金を引き揚げるつもりはまったくない。あいりん地区という資本主義のどん底の地獄を見て、私はよりその思いを強くしている