自分が勤務先を退職し、無職になることを決断したきっかけは、自分と仲が良かった営業マンの影響が大きい。
会社内でつまらなそうにしている自分のことがわかったのか、会社にいても、「こんな所でこんなことをしていて良いのか?」と日々自分が考えていることが分かっていたのかは分からないが、自分より先に会社を辞め、独立して悠々自適な生活を送っていたその人は、「こうして成功した!」とか、「この仕事は周囲が甘いから、自分でも楽して食っていける!」というような話を、全く嫌味に聞こえないように自分の耳元でつぶやいていった。
自分はその言葉に少しの影響を受け、結果的に無職になった。
その後はその人のことを恨んだことなんて一回もないし、むしろ無職に慣れてよかったなという気持ちの方が大きいので、別にこれはどうでも良いのだが、何事もきっかけがなければ始まらない。人はなかなか重い腰を上げないということだったのではと今更ながらに振り替えると思う。
無職になるとどうなるのか?
実際問題の話、無職になるとどうなるのかというと、まず興味の対象が変わる。
今までは社会人に興味があり、サラリーマン向けの雑誌などを見ていたが、今はそういうものには一切興味がなく、そのかわりに無職に興味がわくようになってしまった。
パチプロのブログとか、無職で家でうじうじしている人のブログとか、なぜかそんな記事を読んでいることが多い。
そして無職の人のブログを読んでいると、【狭い世界で一生懸命に生きる姿】を目の当たりにして、小さなと感じてしまったり、でもその小ささが何故か魅力でひきつけられたりしてしまう。
前に無職になったばかりの人が、ブログ内で、駅のホームで満員電車に乗る人を眺めながら、【俺はああならないで良かった】と書いていた。今思えばこんなことはブログで書くことでもないし、本当にどうでも良いことのように感じるが、この感覚はサラリーマンには味わえない。無職になったからこそ味わえる小さな感覚だと思う。
そしてこんな世界に長くいると、そういう行動ばかりが目に入ってくるようになる。
自分が見た小さな行動
無職の自分が見た、【この人無職だな!】と思う人の中で印象に残る行動は、
1、海物語でリーチがかかると、壊れるぐらいの勢いでボタンを連打するおばちゃん。
2、パチスロを打っていた際、自分のメダルが落ちると、それを見逃さずに拾い、自分のメダルにしてしまう乞食のような中年男性
3、パチンコ店に並んでいる際、わずか数分並んでいることができず、「早く開けろー!」と大声でわめきちらす、いい年をした建築系の人
4、パチンコ店で打っていると、たまにヤクルトを手渡しでくれる日があるのだが、そのヤクルトを手渡そうとする前に奪い、ちゅーちゅー飲んでしまう頭の悪そうな人(ふつうはお辞儀をして受け取る)
5、便所でウンコをした後、流さないでそのままにして帰る人
とまあこんな事が印象的な出来事。
こうやって書いていると、本当に無数に浮かんでくるのだが、自分のいる世界が情けなくなってくるので、この辺にする。
無職になって良かったのか?
無職になり、無職の人と思われる人を見ていると、皆1律に自由人であることが分かる。道端で飯を食べたり、店の前にタンや唾を吐くなんてことは日常茶飯事。人の目なんか一切気にしない。自由奔放に生きる。そんな人たち、本能むきだしの人たちを目の当たりにすると、【本当に無職になって良かったのか?】なんて感じる時があるが、自然体で生きるということを考えると、無職の人の行動の方が、より人間らしい行動なんだなということが分かったような気がする。
世の中は、あれをしてはダメ。これをしてはダメ。こんな大人になってはダメ。なんて規律のようなものが存在するが、それはすべて会社員の世界。
逆に無職は本能の赴くまま。無職の生きる世界は無法地帯。
そんな世界ではないのかと?周囲を見渡してそんなことを感じました。
無職になりたいと思う人がいたとしたら、一応そんな世界なのかもと覚悟をもって来たほうが良いと思います。またこんな事を考えられるようになった点を、自分は無職になって良かったなと思っています。