無職で本当に良かったなと感じたこと

2026年9月28日。ひょんなことだが本日は朝から、【無職で本当に良かった】という感情が沸き上がってきた。今家を出て最寄りの満喫に入店したのだが、歩いている間もずーっとそのことを考え、結論のようなものが出たので、今回はその点を書く。尚最初に断っておくが、これは会社員をあおっているものではないので、そのつもりで読みたい方だけご確認ください。

無職で良かった=自由な時間が過ごせること

自分が無職で良かったなと思える最大の理由は、やはり自由な時間を過ごせること。自分の意志で自分の過ごしたい時間を過ごせること。これに尽きると思う。

勿論最低限度の衣食住という環境ありきの話だが、それさえあれば、特に贅沢などは必要なく、その次に大事なのは自分の意志で過ごすことができる自由な時間ではないかと、何年も経過した今更ながら、この感情が強くわいてくる。

自由な時間の過ごし方

無職は自由な時間が多い。なので自分でやることを決めることができる。

ある人は朝からパチンコに行く。勝つ気満々で打ちに行くが、世の中そう甘くなく、悲惨な結果で終わることも結構多い。

そしてそういう日はやはりそれなりに後悔をすることもある。【こんな馬鹿なことに時間とお金を使ってしまった。もっと有意義なことに使えば良かったと。】

自分はそれを何度も繰り返してきた。馬鹿につける薬はないというが、本当にそれに近いぐらい同じことをしてきた。またそれにより多少のストレスも感じてきた。だがそんな事を繰り返してきた本人が言うが、失敗したとしても、これも自分の意志で決めたこと。誰かに言われてやったというのではなく、自分の意志で決めて行動したことなので、その結果がどんなものであったとしても、ある程度は腑に落ちるのである。

何だかこれは自分に甘すぎる。尚且つ馬鹿すぎると思われるかもしれないけれど、これは本当に正直な感情。

自分の意志で考え行動した場合、上手くいってもそうでなかったとしても、単にそれをするだけで、時間の過ごし方に関しては充実感を得られるのかもしれない。それはまるで旅行と同じようなもので、好きな場所に行くだけで新しい発見や充実感が得られるように、自分の好きなことをするというただそれだけでも、脳のどこかの部分が満足するのかもしれない。そんな感覚がある。

まあこの点を平たく言うと、自分で決めたことだから、妙に納得がいくのであろう。単にそれだけのことだが、これが無職の最大のメリットであるように、今振り返っても改めてそう感じる。

ノーストレスな日々

それと無職の場合、自分がいる環境も自分で好きに選ぶことができる。世の中にはモンスターといわれるような、他人に迷惑を平気でかける人、他人にストレスを与える人がいるが、そういう人とも一切接しないでいいようになる。

そんな自分の好きな環境で、好きなことをしているとどうなるかというと、余計なストレス、余分なストレスを感じなくなる。実際にそういう火種のようなものが皆無なのだ。そしてそうやって何年も過ごすとどうなるかというと、そういった人間の最大の悩みとされる人間関係の悩みをほぼ感じることなく過ごすことができる。そして無駄なことにエネルギーを割かないでもいい分元気でいられるように感じている。

職安で最後の失業保険給付の際に言われた印象的な一言

自分は失業後、職安で失業保険を受給した。その最後の説明会だったと思うが、その際に講師が皆の前でこう言った。

【半年も休職をしていると、色んな能力がだめになります。皆様も一刻も早く仕事を見つけて就労してください】今でもはっきりと覚えているが、自分はこの言葉が脳裏から離れなかった。

失業保険受給中も、全く職につく気がなかったのだが、この話を聞いて、ちょっと働かないとだめなのかという気になったが、結局怠けの意志が強く、就労しなかったのだ。

そして今その言葉を振り返ってみた率直な感想は、【日本は労働人口を増やさないと困る。だからあんな脅しのような嘘を言ったのではないか?】と感じている。

なぜかというと、能力が衰えたとは一切感じていないからだ。勿論会社員時代と比べたら人との折衝や付き合いは大きく減少したが、それにより会話ができなくなったとか、何か困るようなことはあまり感じたことはない。多少の衰えはあるのかもしれないが、全く問題がないレベルだ。

また世の中を見渡してみると、無職に近い身分の人は結構存在する。迷惑系の方だが、久永小太郎、魂道組長や、しばたー、などもほぼ無職に近いが、皆異常なほど元気だし、人生を楽しく生きているようにも見える。

またそれ以外では作家などもそうであろう。自分のペースで文書を書くだけの人。無職とほぼ変わらないと思うが、そういう方々の能力が劣っているように見えるかというと、むしろその逆だ。

また広い意味でいったら、自営業者なども無職と似ているところはある。自分の意志で考え行動しているという点のみだが、繁盛しているかどういかは別にして、基本的に似通っているところは多いように見える。

そういう意味からも別に無職という生き方もありではないかと思えたし、また実は人生はそっちのほうが幸福度が高いのではないかとも今更ながら感じているところだ。

無職と会社員の違い

自分が考える無職と会社員の違いは、外で飼っている鳥か、鳥小屋で飼育されている鳥かの違いではないかと感じている。外(野生)で生活している鳥は困難がつきまとうものの、今の日本(野生)の環境なら、都会に住めば無職かどうかは分からない。後は自分で衣食住さえなんとかできれば、それなりの無職生活は送ることができるだろう。無職生活=自分の意志で行動できる時間が増えるという意味だが、その生活を送ることができるということは、上記のようなメリットがあると思う。

また会社員は鳥小屋という例えば、刑務所とまではいわないが、それに近いような環境を意味する。やりたくないこともやらないといけない。指示通りの日々を送らないといけない。その代わりに環境は維持されるが、それはいつまで保証されるか分からない。またもし首になった場合はその後の困難が予想される。

個人的にやりたくもない仕事を我慢してこなす。それに人生をささげる。そんな生き方になってしまうのかと感じている。

常識を疑うべきではないか?

国を動かしている方々、すなわち国会議員のような方々が何をしているのかということは分からないが、○○大臣といわれる方々が簡単に変わるのを見ていると、大臣はだれでも良いように見えるので、特にある能力が必要というわけではないのであろう。タレント議員が議員をやっていたりするのを見てもわかる通り、だれでもできるような仕事なんだろう。

また誰でもできるような仕事であるにも関わらず高給取りだ。そしてその方々が満足いく生活を送るためには、運転手が必要。スーパーなども必要、外食も必要というわけでそれ以外の方々には何としても働いてもらわないと困る。それゆえ日本国憲法には労働の義務、納税の義務がある。誰かが何不自由ない生活を送るために決められた制度ではないか?裏を返せばそんな風にもとることができる。

またこの現実を見ると、世の中不公平に見える。麻生大臣なんかもう85歳ぐらい。民間ならとっくに首。またこの年齢の人を必須とする所なんかどこを探しても見当たらないだろう。でもそんな人が未だに税金で給料を支給され、のうのうと生活をしている。国として見本を示すなら、とっくに首にしても良いのに、何故か身内には甘々というか、だれもこのことすら改変できない。

納税をしている人からしたら、本当に馬鹿バカしいと思う。またこれを改善するには選挙しかないというが、そういうことは一切公約にもならないし、議員数削減も一応やるといってはいるが、いつも先送りだ。

結局国のいうことを真に受けている人ほど馬鹿をみる。良い年齢でストレスで病院に入り、体を壊して不自由な人生を送る。逆にそういう方にはまらないというか、収まり切れないような人たちは、平日の昼間からパチンコ店や公営ギャンブル場にあふれかえる。そしてそういう人達、失う金がない人たちの方が、日々の出来事に一喜一憂できる。そしてそういうちょっとした事に喜びを覚えることができる人の方が、人生は幸せなのではないか?自由に生きれる時間が多い方が、ストレスが無い分楽しいのではないか?世間体などを少しは考える自分でさえをも、最近はそんな考えが頭をよぎるようになったのは、どっぷりと無職生活に浸っているせいかもしれないが、これはこれで本当に沼。なのでこれを見た方は素直にこの内容を受け入れるのではなく、よーく考えてから道を決めてほしい。自分は無職になったほうが良いとは決して言っていないし言えない。人それぞれ性格、環境など違うものがあるからだ。だが一個人の感想を言うと、やはり自由に生きられるに越したことはないという結論になる。

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