
暇だったので、自分のブログを読み返してみた。2019年5月の1日の過ごし方を読んでみたが、朝から競馬の馬券を換金→パチスロ→宝くじ購入→ランチ→温泉で終えていた1日をみて、我ながら凄い1日を過ごしているなと感じた。(当時のブログは以下)
因みにこの時はこの行動を当たり前のようにやっていた。
ほぼほぼ毎日こんな事をしていたんだろうと記憶している。
しかも博打に真剣に向き合い、本気で勝とうとしていた。心からそう考えてパチンコ店に並んでいたんだと思うし、宝くじもよく買った。未だに記憶に残っているが、巣鴨にある高岩寺(とげぬき地蔵)に行って、煙を死ぬほど頭にぶっかけ、脳内で当たれ!当たれ!と祈った後に宝くじを購入した記憶がある。

しかし途中から、さすがにこんな生活をするのが恥ずかしくなり、平日の昼間から公営ギャンブルにはいかなくなった自分がいるのに気が付いた。
ここ最近の生活
ちなみにここ最近の生活だが、ギャンブルはもっぱらパチンコ・パチスロだ。また未だに公営もやるが、ネットから購入しているので現地には行ってない。またそれ以外では、一応1週間に2日程度はマンガ喫茶に行くようにしている。一応アフィリ(金儲け)をやる為に入店している。アフィリ自体は結構知名度も高いし、アフィリで上場している会社もあるので、誰かから、「最近何しているの?」と聞かれた際、

アフィリをやっているよ!
と答えることもできる。
数年前の自分は、同じことを聞かれても答えることができなかっただろう。

パチンコ・パチスロ・競馬・競輪・宝くじ
さすがにこんな事を大の大人の前で回答したら、みなドン引きするだろうと思う。
なので当時の自分に比べたら、見違えるほど成長できたのではないかと感じているが、正直今の生活は性に合わないという感情も沸いている。
なぜかというと、アフィリをするには色々と考えないといけないことが多いからだ。商品を売るにしても、その先には相手がいる。その人に対してちゃんとしたアプローチをしないと、買ってもらえる桃の買ってもらえない。そのことがうすうす分かるので、その為に脳内で色々と考えているのだが、それをするのが疲れにつながっているのかもしれない。
ここ最近の悩み
そんな自分のここ最近の悩みだが、数年前のこの1日の過ごし方を見て、再度こういう生活をしたいなという気持ちがちょっと沸いてきている。
今週は競馬のG1レースのマイルチャンピョンシップが開催される。すでにJRAの情報やニュースなどを見て、刺激を受けている。
ソダシか?それとも3歳馬か?といった構図だ。
また数年前の自分と同様に、馬券を買い、その当たり馬券を来週の月曜日に換金出来たら、それはさぞかし楽しいだろうなという屑みたいな思考回路がわいてきているのと、そんなアホな事をしていては駄目だ!競馬なんかやっていたってなんの能力もつかない。
と脳内に存在する少数派の脳細胞がそう呟いている自分がいるのがはっきりと分かる。
人生は一度きり
人生は1度きり。どう生きようとその人の自由。
実際に場外馬券場の周りには、本物の屑みたいな人達がごまんといる。

ワンカップ片手に地べたに座り、真っ赤になった出走表を片手に、真剣にパドックを見ているどうしようもない人達がいる。

自分も昔はこういう場所によく行った。馬が映し出されるモニターの前で、ファンファーレに合わせながら手をたたいていたこともある。
でもレースが終わった後、ほとんどの人がうなだれて動けなくなってしまう光景を見て、こんなアホな事をしていては駄目だということが分かったし、自分も負けることが多く、終わった後にやらなければ良かったという感情がわき、今は競馬と距離を置いて過ごせているが、なぜかここ最近は、やりたくなっている。その前兆のみたいな感情がわいてきて困っている。
三つ子の魂百まで
カエルの子はカエル。といった言葉があるが、人はどう変わろうとしても、本質的な部分はそんなに変わらないのかもしれない。

1度そこで快感を覚えた人は、それが忘れられず、そのことをやり続ける。
おそらくだけど、そんな理由があるのだろう。
ただ、それをするもしないも本人の意思次第だ。
本当にやりたければやれば良いが、ちょっとでも疑問を感じるとか、それは違うと思うのならば、少し考えてから行動した方が良いのではないかと思った。
流されて生きるとか、目先に欲に振り回されるとかではなく、本質的なものを見極めた上で判断した方が良い。自分も年を取ったのか、なんかそんな事を感じるようになった。