11月21日、前にメッセ扇店で打った際に景品を持ち帰ってしまったので、この日は朝から同店に向かった。
因みにこのメッセ扇店とは、東京足立区、高野駅というマイナーな駅の駅前にあるパチンコ店。付近に競合店は無し。客層も4割程度が老人という状況下においては、個人的には都内のパチンコ店よりもよっぽど出していると感じる店です。
この店はデーター公開店なので、前日のマイジャグ4の凹み台を中心に狙いを絞り、立ち回りました。午前10時10分に到着。マイジャグコーナーの先客は2人。とりあえず高設定狙いの為、淡々と回転数をカウントしながら打ちましたが、この日の1階に設置されたマイジャグには当たりが無し(後ほど公開データーで判別)。
昼前には1万以上使い、若干後悔していたが、引くに引けず昼前に2階に移動。朝1台のマイジャグが何とか連荘し、500枚程度のメダルを獲得して昼休憩をとりました。
昼はメッセ扇店に隣接している、ラーメン山中坊という店。
この日のランチは、坦坦麺、ライス、シュウマイ(大きなのが2個)で800円だったので、麺を大盛り(100円増し)で注文しました。

麺は中太麺、大盛りはおそらく麺2玉。シュウマイも異常なデカさで、お腹がかなり一杯になりました。自分は食べる方ですが、ここのランチは普通もりで充分だと思いました。
肝心の味ですが、食べろぐの口コミに書いてある通り、とにかく甘い。砂糖でも入ってるんじゃないと思うぐらい甘い。しかも野菜の甘味では無い不自然な甘さ。卓上に唐辛子があるので、そういったものを入れましたがあまり変わらず。栄養がありそうなラーメン。味はまあまあ。次行った際は塩ラーメンを頼んでみたいと思っています。また値段ですが、ラーメンは600円と安価です。その割には美味しいと思いますので、お勧めです。(食べろぐにはラーメン500円となっていましたが、以下の画像が正しい値段です)※シュウマイは頼まない。ライスも頼まない方が良いです。

食事の後は2階で打っていたマイジャグ722番台が出たり飲まれたりで一進一退を始めたので潔く見切り(後に3千枚でたので、もしかしたら高設定だったのかもしれない)、1階でファンキージャグラーの良台を打っていたところ、ガチの乞食らしき老人が自分の隣に座りました。
パチンコ店でのガチの乞食との出会い
年齢は70代、ニット帽にメガネ(老眼鏡?)、髪ニット帽からはみ出した部分は全白髪、多分全白髪。大量の洋服を着込んだ男か女か分からない人が、何故か自分の隣のファンキージャグラーに座りました

隣に座っただけで、臭いがする。勿論人間のう○この匂い。
隣に座ってからは財布ではなく、スーパーの透明のビニール袋に何重にもくるまれたポーチのようなものを取り出しました。※普通は財布なのに、違う感じだったので思わず見続けました。

中には大量の紙。ボールペンで何か書ける白い紙が入っているのが見えました。そしてその紙と紙の間から千円札を取り出し、おもむろにサンドに入れました。
そして出てきたメダルでファンキージャグラーを打ってます。
荒っぽく何ゲームか回しましたが、ヒカルことは無し。
そしてたったそれだけで出ないと感じたのか、わずかなメダルを持って後ろにあるマイジャグラー3に移動。
そこでマイジャグを数ゲーム打ったところで終了。おそらくメダルが無くなったのであろう。
時間にして僅か数分。その乞食と思われる人は自分の視界から消えていった。
その後気になったのでホール内を見てみたが、その人は見当たらなかった。
因みに何故この人が乞食かと思ったのかと言うのにはもう1つ理由がある。それはメッセ扇店が、荒川の近くにある事。荒川にはダンボールハウスが多数あることからである。

そしてその人の立ち回りを見て、もし自分が乞食だったらどうするんだろうかとちょっと想像してしまった。
おそらく明日の飯代すらままならない経済状況だろう。パチスロでの当たりを夢見て勝負するのは、金が増える見込みがあるから譲歩してアリなのかもしれないが、勝ったとして、そのお金で何をするのだろうか?
仮にそれが美味しいものを食べるとかなら、何故手持ちの千円でその願望を実現しないのだろうか?
もし自分が同じような立場にいたらどうするか?メガネをかけていたので、昔は普通の生活をしていたのだが、訳あって乞食になってしまい、孫へのプレゼントか、孫の結婚祝いか、何か理由は分からないが、金が必要だが、働きたくても働けない年齢になってしまい、何とか貯めたお金を増やすべく、パチスロで勝負をしたのかなとか?ちょっと考えてしまった。
乞食を見て思うこと
ある一定以上の年齢で、働きたくても働き口が無く、それでお金を稼げない人もいる。勿論自己責任といえばそれまでだが、中には本当に運が悪くそのようになってしまった人もいるだろう。
こういう場合結果ではなく、その過程に焦点を当て、本当に勤労意欲が低く何もしたくない人はしょうがないのかもしれないが、少なくとも働きたいという意志がある人に対しては、何かしらの救済措置が合っても良いのでは無いかと思った。
それと同時に、自分自身、勤労意欲というものが異常に欠如しているのを自覚しているのだが、その事について考えさせられた。
単にパチスロを打って、それで儲かったら大喜びしていて良いのだろうか?

というか、パチンコという不確定的な要素しかない遊びに対し、時間を使っても良いのだろうか?
はっきりとした自覚は無いものの、目の前で千円を無駄にしていった乞食の行動は、自分に何かしら考えるきっかけにはなった。
何かこんなことをしていて良いのだろうか?
普通の人、また世間一般の人と言うのは何かしらパチンコ以外の事に時間を費やしているのである。ストレスはあるのかもしれないが、対人能力が向上したり、試行錯誤を繰り返したりして成長しているのである。
それは電車に乗っても、周りに駅員や働いている人がいるように、ラーメン屋に行っても、コンビニに行っても、こつこつとまじめに働いている人がいるのを見れば明白である。
やりたくてやっていないかもしれない。しかたなしにやっているのかもしれない。でも例えそうだとしても、もし自由な時間があったとしたら、それをパチンコに使う必要はさらさらない。(パチンコで生計を立てているというのなら別だが)この先の人生を考えた場合、心配ないくらいの蓄えが出来ているのなら遊んでいても良いのかもしれないが、何の保証もない現代において、金が稼げる保証もない事に時間を費やしているのはどうかなという考えが浮かんだ。
またもうちょっと突っ込んで言うと、パチンコばかりしていたらいずれ破産するだろうし、最終的には乞食のようになってしまうのではないかとすら思えた。
ということで今回は自分の感想を正直に書きました。結構まじめな感じになってしまったかもしれません。
また自分と同じようなパチンカスの方に対しては耳が痛い話かもしれませんが、良かったら一度考えてみてください。このままいったら乞食かもしれないぞ?と言う事を。
そうでない方はもっと向上し、更に良くなる事を期待しています。
最後まで読んで頂きありがとうございました。