こんにちは、無職の金丸です。
自分は高校生の終わりごろからパチンコ・パチスロを覚え、社会人になってもずーっとパチンコ・パチスロをしてきてしまいました。
パチンコ・パチスロ暦は、20年超というとんでもない長さになりますし、それだけ大量の時間をパチンコ・パチスロ店で過ごしていたことを意味します。
20歳そこそこの自分はというと、友人達と数人で打ちに行っていました。時には、1時間以上かかる優良店といわれる店に遠征したりもしていました。
その当時は、ある意味パチンコ・パチスロに夢中になっていました。魅力は、働かないで遊んで金が稼げるからです。
尚且つ短時間で、アルバイトの月収分ぐらいを簡単に稼ぐことも出来たため、夢中になって通っていました。
朝から晩までパチンコ打っていても、夢中になっているから面白い。当時の自分はそんな馬鹿みたいな生活を送っていました。毎日毎日パチンコの大当たりを期待する日々。勝てばそのお金で遊びに行き、負けても悔しさから友人などと文句を言い合ったりして、過ごしていました。
今考えると最初の内というのは何事も新しく、刺激的だったから楽しかったのかもしれませんが、大当たりを何度となく消化することにより、だんだんと冷静になっていく自分がいました。
そして分かったのが、「パチンコ・パチスロは所詮機械との戦いである」ということ。
良い年した大人が、お金が儲かるという理由だけで、機械と1日戯れる日々。
端から見たらどのように写るのでしょうか?
また、実際にやっていることというのは、福引をずーっと繰り返しているようなものです。
毎ゲームごとに、次は当たりが入っているかもしれないと、福引券を引き、見事当たれば大喜び。外れたら、絶対当てるぞという意気込みで頑張る。
パチンコ店にいる人達というのは永遠とそんなことを繰り返しているのです。
せっかく親が生んでくれたのに、機械と向き合い、目先の金に引かれ、1日中くじを引き続ける。そんな下らないことをしていても良いのでしょうか?もっと他に有意義で尚且つ世のため人のためになったり、充実したりすることはないのでしょうか?
そんな事を考えられるようになってから、自然とパチンコ店に行きたいとは思わなくなりました。
またパチンコ・パチスロは所詮機械との勝負なのですが、その機械の出玉をどのようにするのか?その権限を持っているのは店側であり、基本的に客が勝てるような設定にはなっていないのが現状です。
目先の金につられ、パチンコ・パチスロという単純な遊びに、数万というお金を使う。その事自体一体何の意味があるのでしょうか?
過去に散々はまっていた自分ですが、今はこのように考えています。そして今からパチンコ・パチスロをしてみたいという人が周りにいたら、自分は上記の理由から、なるべくしないことをお奨めします。